七夕



「今日は七夕じゃないか」
俺は窓の外を見てつぶやいた。夏至に近いとはいえ窓の外はすでに暗い。部屋の中からではこの暗い空が曇っているのか晴れているのかは判別できない。
カーテンを開けても、ただ照明に照らされた部屋が反射するだけだ。
窓を開けて確認するほどのこともない。こんな街の中でしかもまだ夜もそこまで更けていないこの時間では、例え晴れていたとしても星はなかなか見えないだろう。
そんなことでこの電話を中断するのもバカらしい。
俺は少し熱を持った携帯電話を持ち直した。
『そうだな。だが今日は曇っているだろう』
電話の相手はそう答えた。
空を見たのだろうか。恐らく、天気予報でも見たのだろう。



いつからかこうしてたまに蓮二と電話をすることがある。
テスト前や学校行事などで忙しいときを除いて。他人から見れば他愛のない話ばかりだ。
学校のこと、部活のこと――とはいえまた対戦することもあるかもしれない相手に自分の周りのデータを全て教えているわけでもない。それは恐らく相手も同じこと。
駆け引きなどというほどカッコイイものでもなく、ただ日々起こる事柄のお互い興味がありそうなあたりを話しているだけだ。
それでも、昔から知っている空気、新しく知ることになる事柄、どちらを話すことも楽しい。
おかげで思った以上に時間が経ってしまうことがある。
今もそんな話をしていただけだった。
「曇っていたら会えないんだっけ。ただでさえ1年に一度しか会えないのにな」
何でそんなことを話そうと思ったのかはわからない。
自分ではもう終わったこと。わだかまりなどとっくの昔になくなっていた。
蓮二に対して、今思う感情は穏やかなものであるはずだった。
『この日に降る雨を催涙雨という。つまり会えなかった二人があまりの悲しさに涙したってことだ』
そりゃ悲しいだろう。
1年に一度しか許されていない逢瀬。それなのに雨が降って二人を分かつ川が溢れてしまうのだから。
もし翌年も降ったら、2年、その次も降ったら3年も会えないことになる。
7月7日の降水確率は梅雨が終っていないから恐らく高いだろう。運が悪ければそういうこともあるってことだ。何せ自然現象だ。
どんなに祈っても願っても、自然の前にはどうすることもできないこともある。
「1年に一度しか会えなくて、しかもそれが100%ではないという状況で生活するってどんな気持ちなんだろうな」
本当に他意があったわけではなかった。
しかし、口に出した途端自覚してしまった。
ああ、やっぱり俺は。
『……さあな。その状況にならないとわからないだろう』
蓮二も気づいている。そうだろう。俺たちはあのことに関してお互いの気持ちをさらけ出していない。
ただ、試合をして、お互いが満足して終わっただけだ。
あのことに対して、どうしたいのか、どうしてほしいのか一切話していないのだ。
「まあでもあの二人は天帝を怒らせるくらい仕事をさぼっていちゃいちゃしてたんだから仕方ないか」
理由があるんだよ。離れさせられた。
それは納得は出来なくても、受け入れるしかないことだろう。
でも、俺たちは。
『そうだな…因果応報、自業自得というやつか』
未来を見ていたよな。自分たちに甘えてはいなかったよな。
だから俺は納得もできなくて、受け入れることもできなくて、お前がいないことにも慣れなかったよ。
きっと天の二人だってわからない。俺の気持ちは。
そして俺はもう、お前がいなくなっていつまでも慣れない気持ちを持ち続けて生きていくことはしたくない。
お前は違うのか?蓮二。



『…貞治』
少しだけの沈黙があって、蓮二が口をひらいた。
「何だ?」
電話越しの蓮二はいつもと同じように淡々としている、ように思えた。
『期末テストが終わったら…時間あるか?』
「時間…?特に予定ないし部活以外は暇だな」
テニスとデータを収集すること以外の趣味といえるような趣味など持ったことがない。
休日に出かけるような相手もいない。
それは蓮二も知っているはず。
『………い』
「え?」
蓮二の声がいつもより幾分小さいことに、そのときの俺は気づきもしなかった。




『お前に会いたい』





きっとあのまま二度と会わなければ、心の奥に澱が残ったとしても、忘れたふりをして生きていけたんだろう。
でもまた出会ってしまった。
俺は偶然や運命的な出来事なんてそうそう起こることじゃないことも知っている。
だからあれは必然なんだろう。
もう一度会って、以前の思いを上書きしていれば新しい記憶だけで存在したはずなのに。
昔の思い出はそのままに、さらに新しい、しかも強烈なものを残してしまった。
無理なんだよ、もう。
なかったことにすることなんて。
だからお前もそう思っていて欲しい。
なかったことにしないことがお互いの免罪符だろう?

end