宍戸と鳳は新宿のチェーン店の居酒屋に入った。
中野に住んでいる宍戸と目黒方面の鳳。
二人の住んでいる場所の間くらいで、ということになったので、「渋谷は」と鳳が案を出したが、宍戸は首を振った。
「跡部たちは渋谷でやるって言ってたからな」
そんなに会いたくないのか。
鳳の表情が若干曇ったのを敏感に感じ取ったのだろう。宍戸が続けた。
「俺は別にいいんだけど、あいつが俺をスルーしねぇからな」
少しだけ呆れたような、でも許すような声で言うことにまた胸が妬ける。
跡部さんのこと全部わかってるんですね。
喉まで出たが、声には出さなかった。
「…は!うめぇ」
宍戸は2杯目の生中。いつものお決まりのパターンだ。ここから焼酎へと変えていく。
鳳はカシスオレンジを飲みながら、心持ち赤く色づく宍戸の首筋を眺めた。
少し緊張しているのかもしれない。自分も、宍戸も。
大勢で打ち上げをしたことは何度もある。しかし、こんな大きなイベントの後で打ち上げるときにたった二人きりということは今までになかった。しかもこのビッグサイトにいるときから、流れている空気。
溢れるような期待と、ほんの少しの不安。
鳳はグラスに残った酒を一気に飲み干した。
さっきから宍戸はやけに饒舌に話している。不自然なくらいだった。まるで何か核心に触れるのを避けているようなその口ぶりに、鳳も話の相槌をただ打つことしかできなくなっていた。
ち…と宍戸が舌打ちをする音が聞こえた。
宍戸が苦々しい顔で横を見ていた。
「あいつら、こんなとこで買った本出しやがって。常識ねぇのにもほどがあるな」
見ると、近くに何組かの自分たちと同じく、夏コミ帰りと思わしき数人の客が座っていて、その中の1組があきらかにB5サイズの本をいくつか出して盛り上がっている。
「ああいうのと同じに思われるのもむかつくよな」
宍戸の怒りの琴線に触れてしまったのか、酒を煽るスピードが上がった。
もう3杯目のウーロンハイ――
ただでさえ、夏コミのため早朝から起きて会場に向かい、半ばハイテンションのままイベントを過ごし、その帰りとあって酒が回るのも通常より格段に早いはずだ。
明日は夏コミにも行かないし、家でゆっくりするとはいえ、朝に搬出した荷物も着くし、買った本も整理しなくてはならない。
大丈夫だろうか、と鳳が心配そうに顔を覗き込んだ。
「そういえばお前、さ」
それには気づかず、だし巻き玉子をつつきながら、宍戸は目線を上げずぽつり、とつぶやいた。
「このあとの予定…どうなってんの」
予定、といってもプライベートのスケジュールではない。
夏コミあとで、同人作家の予定といえば、これからのサークル参加するイベント、そして新刊の予定に他ならない。
「冬は申し込むのかよ」
今度は刺身の盛り合わせのツマをつつきながら、まだ宍戸は顔を上げる気配を見せない。
「え…、あ、俺は冬は申し込まない、です」
鳳というのはこれも変わった男で、一人でバリバリと本を出すタイプではなく人から誘われて合同誌に参加したり、アンソロに参加したり、他の誰かのゲストなどで満足できる珍しい作家だった。
勿論、個人誌を出せばいいのに、という要望やら周りの人間からもかなり言われてはいた。
それにも「一人でやるより他の人とやった方が楽しいから」という理由でほとんど個人活動は行っていない。
ただ、才能と人望はあるため、必ずといっていいほど夏や冬など大きなイベントには誰かに呼ばれ、個人では活動せずとも毎回何らかの形で参加していた。
宍戸は黙っていた。
何かを言うつもりなのか、もうこの話題は終わりなのか。
ひたすら、宍戸の顔を見つめる鳳を気にせず、テーブルの一品料理を見ながら、押し黙っているだけだった。
鳳はといえば――
酒のせいかもしれない。さっきから暑くてたまらない。様子がおかしい宍戸を目の前にして、自分もおかしくなってしまったのかと思う。まるでさっきまでいたビッグサイトが昨日のことのように思える。
飲みすぎてるんだ、きっと。お互い大きなイベントあとに飲む量にしては多すぎた。だから…。
「あの…宍戸さん。俺ね…宍戸さんと…」
「言うな!」
周りの客たちが宍戸と鳳の方を向くくらいに宍戸は声を張り上げた。
一瞬、びっくりした顔をした鳳だったが、真意がわからず、そのまま宍戸の次の言葉を待つ。
「言うな…お前に先に言われたら俺、すっげーだせぇだろ」
「宍戸さん…」
今まで伏せていた顔を上げ、まっすぐに強く鳳を見つめた。
「長太郎、俺と一緒にやらねぇか」
お盆だったからか、いつもより少しだけすいている終電に乗り、鳳は窓から見える都心の夜景を見ながらさっきまでのことを考えていた。
同じ気持ち、だった…宍戸さんも。
思わず顔がニヤけてしまうのを無理やりに引き締める。
宍戸が言わなかったら、確実に自分が言ってしまっていた。この前原稿を手伝って、夏コミの手伝いもして…ここのところずっと近くにいてもうどうしようもなくなっていた。
宍戸と一緒にやれたらいい、という気持ちが膨らんで自分でもどうにもならなかった。
ただ、前に話していた宍戸の過去。鳳よりも宍戸本人がそれを気にしていることも今日さっき知ったのだった。
「前も言ったけど、俺はやりやすいタイプの人間じゃねぇよ、きっと。だから、俺から誘うのもどうかと思う。お前とはやりたいけど…今までみたいなことがないとは言い切れねぇし、お前に迷惑もかけるかもしんねぇ。けど…」
わかっている。宍戸は怖いのだろう。今はこんなに楽しいのに、一緒にやるにつれいやなことばかりになって、最後には一緒にやりたくないどころか顔も見たくないなどと言われてしまうことが。
宍戸には怒られてしまうかもしれないが、鳳は思わず笑みをこぼしながら、宍戸の言葉を切った。
「宍戸さん」
「…なんだよ」
もしかして、俺に断られると思ってる?バカだなぁそんなことないに決まってるのに。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします!」
鳳は正面を向いて、少しだけ席を後ろにずらし、深々と会釈した。
そして、礼が終わったあと見た宍戸の顔は、もう絶対に忘れることはないだろう。
結局、そのあととりあえず冬コミは二人で申し込む、ということになりサークル名やジャンルの詳細をあーだこーだ言いながら決めることになった。宍戸も心の枷がなくなったからかやたら笑うようになり、話も脱線してばかりでなかなか決定事項までたどり着けなかった結果が終電というわけだ。
「じゃとりあえず俺がカット書いて申し込んでおくけど…ホントいいのかよ、俺が全部やって」
「お願いします」
「お前俺に全部丸投げはやめろよな」
「違いますよ、宍戸さんを信頼してるだけ」
「…バカだろお前」
もうとっくに酔いは覚めていたのに二人また笑いあって、今日買った面白い本の話とか、こんな本を作れたらいいとかくだらなことばかり言って、さすがに終電になったので解散した。こんなに離れがたいのは初めてかというほど、まだまだ話し足りなかった。
宍戸は電車の中で、鳳と飲んでいる最中に送られてきていた数人からの「お疲れ」メールに返信をしていた。
「…わざわざ人に言うことでもねーよな…」
メールを打つ手を止める。
秘密にしたいわけじゃない。びっくりさせたいわけでもない。
だからといって、自ら吹聴するのも違う気がする。
とりあえず。
帰って一眠りしたら、先ほど決めたことを思い出しながら冬の申込書を書こう。
宍戸は電車で揺られながら目を閉じた。
もう肩に背負った本の詰まったかばんの重さは感じなくなっていた。
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